極真空手道連盟・極真館は2026年8月3日、会長の盧山初雄さんが同日午後4時48分に死去したと発表した。78歳だった。かねて病気療養を続けていたが、容体が急変したという。第5回全日本空手道選手権を制し、強烈な下段廻し蹴りで一時代を築いた空手家の死去を受け、極真館は後日お別れの会を開く方針を示した。

訃報の要点
極真館による訃報では、盧山さんは度重なる大病と向き合いながら、最後まで闘い抜いたと伝えられた。葬儀は家族のみの密葬として営まれ、弔問、香典、供花は辞退する。後日、お別れの会を開く予定で、日時や会場は決まり次第公表される。
死因の詳しい病名は公表されていない。現時点で確認できるのは、療養中に容体が急変したこと、そして極真館が同日中に逝去を発表したことだ。関係者や門下生にとっては、競技者としてだけでなく、長年にわたり組織と稽古を支えた指導者を失った意味が大きい。
歩みを時系列でたどる
盧山さんは1948年3月31日、埼玉県行田市に生まれた。高校1年の秋、東京・池袋にあった大山道場へ入門し、極真空手の創始者・大山倍達に師事した。その後は太氣至誠拳法の澤井健一、空手家の中村日出夫のもとでも修行を重ね、異なる武術の身体操作や間合いを吸収しながら、自らの空手を磨いた。
大きな転機は1973年の第5回全日本空手道選手権だった。決勝で山崎照朝を破って優勝し、日本一の座をつかんだ。続く1975年の第1回全世界空手道選手権では、決勝で佐藤勝昭と対戦して準優勝。この二つの大会成績は、盧山さんが国内の強豪にとどまらず、極真空手の世界展開が始まる時代を代表する選手だったことを示している。
2003年1月には極真館を発足させ、初代館長として国内外の指導体制づくりに携わった。2022年4月に館長職を岡崎寛人さんへ引き継ぎ、自身は会長に就任。競技の第一線を離れた後も、型や武器取りを含む武道研究を続け、後進を見守った。詳しい経歴は生前の写真と歩みでも紹介されている。
人物と技を形づくったもの
盧山さんの代名詞は、相手の脚を外側から打ち抜く下段廻し蹴りだった。「ローキックの鬼」「ローキックの盧山」と呼ばれたのは、単に一発の威力が強かったからではない。構え、間合い、重心移動を組み合わせ、試合の流れを変える技として使い切った点に特徴があった。
現役時代には下段廻し蹴りに加え、三日月蹴りでも知られた。打撃を受けながら前へ出るだけではなく、相手の動きを読み、崩したところへ確実に攻撃を重ねる組み立てが評価された。劇画『空手バカ一代』にも登場し、道場や大会会場の外にもその名が知られる存在となった。
一方で、盧山さんの経歴は勝利だけで成り立っていない。大山道場で基礎を学んだ後、澤井、中村という異なる系譜の武道家から教えを受けた経験が、競技技術と武術性を結び付ける土台になった。後年に型や護身技術の探求へ力を注いだのも、その修行歴の延長線上にある。
発表後の反応
極真館事務局は、生前の交流と支援への感謝を示し、盧山さんの冥福を祈る言葉を発表した。葬儀を家族だけで行い、弔問などを辞退する方針が明示されている。弔意を伝えたい人は、個別の訪問や送付を控え、お別れの会に関する正式発表を待つ必要がある。
格闘技媒体も相次いで訃報を報じ、全日本王者としての実績や、下段廻し蹴りと三日月蹴りで知られた現役時代を振り返った。公式発表以外の追悼行事や後任人事について、新たな決定は確認されていない。
今後注目されること
次に公表される見通しなのは、お別れの会の日時、会場、参列方法だ。一般の参列を受け付けるか、献花などをどのような形にするかも、極真館からの案内を確認したい。
もう一つは、盧山さんが残した稽古体系や武道観を、極真館がどう伝えていくかである。館長職は2022年から岡崎さんが担っており、組織運営の引き継ぎ自体はすでに行われている。今後は映像、著作、講習記録、門下生の証言などを通じて、技術と思想を次世代へ残す動きが焦点になる。
よくある質問
盧山初雄さんはいつ亡くなりましたか?
2026年8月3日午後4時48分に亡くなったと極真館が発表した。78歳だった。
盧山初雄さんの死因は何ですか?
詳しい病名は公表されていない。かねて病気療養中で、当日に容体が急変したと説明されている。
盧山初雄さんはどんな空手家でしたか?
1973年の第5回全日本空手道選手権優勝者で、強烈な下段廻し蹴りから「ローキックの鬼」と呼ばれた。1975年の第1回全世界選手権では準優勝した。
葬儀やお別れの会には参列できますか?
葬儀は家族のみの密葬で、弔問、香典、供花は辞退すると発表されている。お別れの会は後日開催予定だが、詳細はまだ公表されていない。
極真館の館長は今後どうなりますか?
盧山さんは2022年に館長を退任し、岡崎寛人さんが後任に就いている。今回の訃報に伴う新たな人事は発表されていない。